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日本首相官邸发布的《安倍谈话》中文版

科长 (发表日期:2015-08-15 07:45:15 阅读人次:7679 回复数:29)

  内阁总理大臣谈话

  
二〇一五年八月十四日

  
内阁会议决定

  
正值战争结束七十周年之际,我们认为,必须平静地回顾走向那场战争的道路、战后的进程、二十世纪那一时代,并从历史的教训中学习面向未来的智慧。

  


  
一百多年前,以西方国家为主的各国的广大殖民地遍及世界各地。十九世纪,以技术的绝对优势为背景,殖民统治亦波及到亚洲。毫无疑问,其带来的危机感变成日本实现近代化的动力。日本首次在亚洲实现立宪政治,守住了国家独立。日俄战争鼓舞了许多处在殖民统治之下的亚洲和非洲的人们。

  
经过席卷全世界的第一次世界大战,民族自决运动的扩大阻止了此前的殖民地化。那场战争造成了一千多万死难者,是一场悲惨的战争。人们渴望和平,创立国际联盟,创造出不战条约,诞生出使战争本身违法化的新的国际社会潮流。

  
当初,日本也统一了步调。但是,在世界经济危机发生后,欧美各国以卷入殖民地经济来推动区域经济集团化,从而日本经济受到重大打击。此间,日本的孤立感加深,试图依靠实力解决外交和经济上的困境。对此,国内政治机制也未能予以阻止。其结果,日本迷失了世界大局。

  
满洲事变以及退出国际联盟——日本逐渐变成国际社会经过巨大灾难而建立起来的新的国际秩序的挑战者,该走的方向有错误,而走上了战争的道路。

  
其结果,七十年前,日本战败了。

  


  
正当战后七十周年之际,我在国内外所有死遇者面前,深深地鞠躬,并表示痛惜,表达永久的哀悼之意。

  
由于那场战争失去了三百多万同胞的生命。有不少人在挂念祖国的未来、祈愿家人的幸福之中捐躯。战争结束后,也有不少人在严寒或炎热的遥远异国他乡苦于饥饿或疾病之中去世。广岛和长崎遭受的原子弹轰炸、东京以及各城市遭受的轰炸、冲绳发生的地面战斗等等,这些导致了许许多多的老百姓悲惨遇难。

  
同样,在与日本兵戎相见的国家中,不计其数的年轻人失去了原本有着未来的生命。在中国、东南亚、太平洋岛屿等成为战场的地区,不仅由于战斗,还由于粮食不足等原因,许多无辜的平民受苦和遇难。我们也不能忘记,在战场背后被严重伤害名誉与尊严的女性们的存在。

  
我国给无辜的人们带来了不可估量的损害和痛苦。历史真是无法取消的、残酷的。每一个人都有各自的人生、梦想、所爱的家人。我在沉思这样一个明显的事实时,至今我仍然无法言语,不禁断肠。

  
在如此重大损失之上,才有现在的和平。这就是战后日本的出发点。

  
再也不要重演战祸。

  
事变、侵略、战争。我们再也不应该用任何武力威胁或武力行使作为解决国际争端的手段。应该永远跟殖民统治告别,要实现尊重所有民族自决权利的世界。

  
我国带着对那场战争的深刻悔悟,作出了如此发誓。在此基础上,我国建设自由民主的国家,重视法治,一直坚持不战誓言。我们对七十年以来所走过的和平国家道路默默地感到自豪,并且今后也将继续贯彻这一坚定的方针。

  
我国对在那场战争中的行为多次表示深刻的反省和由衷的歉意。为了以实际行动表明这种心情,我们将印尼、菲律宾等东南亚国家以及台湾、韩国、中国等亚洲邻居人民走过的苦难历史铭刻在心,战后一直致力于这些国家的和平与繁荣。

  
这些历代内阁的立场今后也将是坚定不移的。

  


  
不过,即使我们付出多么大的努力,失去家人的悲哀和在战祸中饱受涂炭之苦的记忆也决不会消失。

  
因此,我们要将下述事实铭刻在心。

  
超过六百万人的战后回国者从亚洲太平洋的各地总算平安回国,成为重建日本的原动力。在中国被残留的接近三千人的日本儿童得以成长,再次踏上祖国土地。美国、英国、荷兰、澳大利亚等国家的被俘的人们,长期以来访问日本,祭奠双方的战死者。

  
饱尝战争痛苦的中国人、以及曾经被俘并遭受日军施加难以忍受痛苦的人做得如此宽容,他们内心的纠葛究竟多么大,付出的努力又是多么大?

  
我们必须将此事挂在心上。

  
战后,如此宽容的胸怀使得日本重返国际社会。值此战后七十年之际,我国向致力于和解的所有国家、所有人士表示由衷的感谢。

  


  
现在我国国内战后出生的一代已超过了总人口的80%。我们不能让与战争毫无关系的子孙后代担负起继续道歉的宿命。尽管如此,我们日本人要超越世代,正面面对过去的历史。我们有责任以谦虚的态度继承过去,将它交给未来。

  
我们的父母一代以及祖父母一代在战后废墟和贫困深渊中维系了生命。他们带来的未来是可以让我们一代继承,且交给我们下一代。这不仅是前辈们不懈努力的结果,也是曾经作为敌国激烈交火的美国、澳大利亚、欧洲各国以及许多国家超越恩仇提供善意和支援的结果。

  
我们必须将此事告诉未来的一代。将历史的教训深深地铭刻在心,开拓更加美好的未来,为亚洲及世界的和平与繁荣而尽力。我们担负着这一重大责任。

  
我们继续将谋求以实力打开僵局的过去铭刻在心。正因为如此,我国继续奉行的是,任何争端都应该尊重法治,不是行使实力而是以和平与外交方式加以解决的原则。这是我国今后也将坚持并向世界各国推广的原则。我国作为经历过原子弹轰炸的唯一国家,追求实现核不扩散和彻底销毁核武器,在国际社会上履行自己的责任。

  
我们继续将在二十世纪的战争期间众多女性的尊严与名誉遭受严重伤害的过去铭刻在心。正因为如此,我国希望成为一个国家要时刻体贴女性的心。我国将在世界领先努力将二十一世纪成为不让女性人权遭受侵害的世纪。

  
我们继续将区域经济集团化促发纠纷萌芽的过去铭刻在心。正因为如此,我国努力发展不受任何国家恣意影响的自由、公正、开放的国际经济体制,加强对发展中国家的支援,牵引走向更加繁荣的世界。繁荣才是和平的基础。应对暴力温床的贫困,为全世界所有人享受医疗和教育以及自立的机会而做出更大的努力。

  
我们继续将我国曾经当过国际秩序挑战者的过去铭刻在心。正因为如此,我国坚定不移地坚持自由、民主主义、人权这些基本价值,与共享该价值的国家携手并进,高举“积极和平主义”的旗帜,为世界的和平与繁荣做出较之以前更大的贡献。

  
我们有决心,面向战后八十年、九十年以及一百年,与我国国民各位共同努力建设如上所述的日本。




 回复[1]: 中国封锁全文转帖 独屏 (2015-08-15 15:22:31)  
 
  只是在那里断章取义的批判。

  
这个混账政府,没救儿了!

 回复[2]:  二进宫 (2015-08-16 01:07:33)  
 
  过去就算了,以后不用总提了。

  
你打我我打你的,不都这味儿吗。

  
对对错错的,历史就是这么打过来的。

  
未来也一定会这么打下去。

 回复[3]: 日本語版 8020 (2015-08-17 14:05:29)  
 
  【安倍総理冒頭発言】

  
8月は、私たち日本人にしばし立ち止まることを求めます。今は遠い過去なのだとしても、過ぎ去った歴史に思いを致すことを求めます。

  
 政治は歴史から未来への知恵を学ばなければなりません。戦後70年という大きな節目に当たって、先の大戦への道のり、戦後の歩み。20世紀という時代を振り返り、その教訓の中から未来に向けて、世界の中で日本がどういう道を進むべきか。深く思索し、構想すべきである。私はそう考えました。

  
 同時に、政治は歴史に謙虚でなければなりません。政治的、外交的な意図によって歴史がゆがめられるようなことは決してあってはならない。このことも私の強い信念であります。

  
 ですから、談話の作成に当たっては、21世紀構想懇談会を開いて、有識者の皆様に率直かつ徹底的な御議論をいただきました。それぞれの視座や考え方は当然ながら異なります。しかし、そうした有識者の皆さんが熱のこもった議論を積み重ねた結果、一定の認識を共有できた。私はこの提言を歴史の声として受けとめたいと思います。そして、この提言の上に立って、歴史から教訓を酌み取り、今後の目指すべき道を展望したいと思います。

  
 100年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

  
 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、1,000万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

  
 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

  
 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

  
 そして70年前。日本は、敗戦しました。

  
 戦後70年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

  
 先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

  
 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

  
 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

  
 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

  
 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

  
 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

  
 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

  
 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

  
 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

  
 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

  
 ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

  
 戦後、600万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた3,000人近い日本人の子供たちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

  
 戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

  
 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

  
 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後70年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださったすべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

  
 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

  
 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

  
 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

  
 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的·外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

  
 私たちは、20世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。21世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

  
 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

  
 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

  
 終戦80年、90年、さらには100年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

  
 以上が、私たちが歴史から学ぶべき未来への知恵であろうと考えております。

  
 冒頭、私は、21世紀構想懇談会の提言を歴史の声として受けとめたいと申し上げました。同時に、私たちは歴史に対して謙虚でなければなりません。謙虚な姿勢とは、果たして聞き漏らした声がほかにもあるのではないかと、常に歴史を見つめ続ける態度であると考えます。

  
 私は、これからも謙虚に、歴史の声に耳を傾けながら未来への知恵を学んでいく、そうした姿勢を持ち続けていきたいと考えています。

  
 私からは以上であります。

  


  

 回复[4]: 英語版 8020 (2015-08-17 14:13:29)  
 
  Statement by Prime Minister Shinzo Abe

  
Friday, August 14, 2015

  


  
Cabinet Decision

  


  
On the 70th anniversary of the end of the war, we must calmly reflect upon the road to war, the path we have taken since it ended, and the era of the 20th century. We must learn from the lessons of history the wisdom for our future.

  
More than one hundred years ago, vast colonies possessed mainly by the Western powers stretched out across the world. With their overwhelming supremacy in technology, waves of colonial rule surged toward Asia in the 19th century. There is no doubt that the resultant sense of crisis drove Japan forward to achieve modernization. Japan built a constitutional government earlier than any other nation in Asia. The country preserved its independence throughout. The Japan-Russia War gave encouragement to many people under colonial rule from Asia to Africa.

  
After World War I, which embroiled the world, the movement for self-determination gained momentum and put brakes on colonization that had been underway. It was a horrible war that claimed as many as ten million lives. With a strong desire for peace stirred in them, people founded the League of Nations and brought forth the General Treaty for Renunciation of War. There emerged in the international community a new tide of outlawing war itself.

  
At the beginning, Japan, too, kept steps with other nations. However, with the Great Depression setting in and the Western countries launching economic blocs by involving colonial economies, Japan's economy suffered a major blow. In such circumstances, Japan's sense of isolation deepened and it attempted to overcome its diplomatic and economic deadlock through the use of force. Its domestic political system could not serve as a brake to stop such attempts. In this way, Japan lost sight of the overall trends in the world.

  
With the Manchurian Incident, followed by the withdrawal from the League of Nations, Japan gradually transformed itself into a challenger to the new international order that the international community sought to establish after tremendous sacrifices. Japan took the wrong course and advanced along the road to war.

  
And, seventy years ago, Japan was defeated.

  


  
On the 70th anniversary of the end of the war, I bow my head deeply before the souls of all those who perished both at home and abroad. I express my feelings of profound grief and my eternal, sincere condolences.

  
More than three million of our compatriots lost their lives during the war: on the battlefields worrying about the future of their homeland and wishing for the happiness of their families; in remote foreign countries after the war, in extreme cold or heat, suffering from starvation and disease. The atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, the air raids on Tokyo and other cities, and the ground battles in Okinawa, among others, took a heavy toll among ordinary citizens without mercy.

  
Also in countries that fought against Japan, countless lives were lost among young people with promising futures. In China, Southeast Asia, the Pacific islands and elsewhere that became the battlefields, numerous innocent citizens suffered and fell victim to battles as well as hardships such as severe deprivation of food. We must never forget that there were women behind the battlefields whose honour and dignity were severely injured.

  
Upon the innocent people did our country inflict immeasurable damage and suffering. History is harsh. What is done cannot be undone. Each and every one of them had his or her life, dream, and beloved family. When I squarely contemplate this obvious fact, even now, I find myself speechless and my heart is rent with the utmost grief.

  
The peace we enjoy today exists only upon such precious sacrifices. And therein lies the origin of postwar Japan.

  
We must never again repeat the devastation of war.

  
Incident, aggression, war -- we shall never again resort to any form of the threat or use of force as a means of settling international disputes. We shall abandon colonial rule forever and respect the right of self-determination of all peoples throughout the world.

  
With deep repentance for the war, Japan made that pledge. Upon it, we have created a free and democratic country, abided by the rule of law, and consistently upheld that pledge never to wage a war again. While taking silent pride in the path we have walked as a peace-loving nation for as long as seventy years, we remain determined never to deviate from this steadfast course.

  

 回复[5]: 英語版続き 8020 (2015-08-17 14:14:46)  
 
  Japan has repeatedly expressed the feelings of deep remorse and heartfelt apology for its actions during the war. In order to manifest such feelings through concrete actions, we have engraved in our hearts the histories of suffering of the people in Asia as our neighbours: those in Southeast Asian countries such as Indonesia and the Philippines, and Taiwan, the Republic of Korea and China, among others; and we have consistently devoted ourselves to the peace and prosperity of the region since the end of the war.

  
Such position articulated by the previous cabinets will remain unshakable into the future.

  


  
However, no matter what kind of efforts we may make, the sorrows of those who lost their family members and the painful memories of those who underwent immense sufferings by the destruction of war will never be healed.

  
Thus, we must take to heart the following.

  
The fact that more than six million Japanese repatriates managed to come home safely after the war from various parts of the Asia-Pacific and became the driving force behind Japan’s postwar reconstruction; the fact that nearly three thousand Japanese children left behind in China were able to grow up there and set foot on the soil of their homeland again; and the fact that former POWs of the United States, the United Kingdom, the Netherlands, Australia and other nations have visited Japan for many years to continue praying for the souls of the war dead on both sides.

  
How much emotional struggle must have existed and what great efforts must have been necessary for the Chinese people who underwent all the sufferings of the war and for the former POWs who experienced unbearable sufferings caused by the Japanese military in order for them to be so tolerant nevertheless?

  
That is what we must turn our thoughts to reflect upon.

  
Thanks to such manifestation of tolerance, Japan was able to return to the international community in the postwar era. Taking this opportunity of the 70th anniversary of the end of the war, Japan would like to express its heartfelt gratitude to all the nations and all the people who made every effort for reconciliation.

  


  
In Japan, the postwar generations now exceed eighty per cent of its population. We must not let our children, grandchildren, and even further generations to come, who have nothing to do with that war, be predestined to apologize. Still, even so, we Japanese, across generations, must squarely face the history of the past. We have the responsibility to inherit the past, in all humbleness, and pass it on to the future.

  
Our parents’ and grandparents’ generations were able to survive in a devastated land in sheer poverty after the war. The future they brought about is the one our current generation inherited and the one we will hand down to the next generation. Together with the tireless efforts of our predecessors, this has only been possible through the goodwill and assistance extended to us that transcended hatred by a truly large number of countries, such as the United States, Australia, and European nations, which Japan had fiercely fought against as enemies.

  
We must pass this down from generation to generation into the future. We have the great responsibility to take the lessons of history deeply into our hearts, to carve out a better future, and to make all possible efforts for the peace and prosperity of Asia and the world.

  
We will engrave in our hearts the past, when Japan attempted to break its deadlock with force. Upon this reflection, Japan will continue to firmly uphold the principle that any disputes must be settled peacefully and diplomatically based on the respect for the rule of law and not through the use of force, and to reach out to other countries in the world to do the same. As the only country to have ever suffered the devastation of atomic bombings during war, Japan will fulfil its responsibility in the international community, aiming at the non-proliferation and ultimate abolition of nuclear weapons.

  
We will engrave in our hearts the past, when the dignity and honour of many women were severely injured during wars in the 20th century. Upon this reflection, Japan wishes to be a country always at the side of such women’s injured hearts. Japan will lead the world in making the 21st century an era in which women’s human rights are not infringed upon.

  

 回复[6]: 英語版続き2 8020 (2015-08-17 14:16:42)  
 
  We will engrave in our hearts the past, when forming economic blocs made the seeds of conflict thrive. Upon this reflection, Japan will continue to develop a free, fair and open international economic system that will not be influenced by the arbitrary intentions of any nation. We will strengthen assistance for developing countries, and lead the world toward further prosperity. Prosperity is the very foundation for peace. Japan will make even greater efforts to fight against poverty, which also serves as a hotbed of violence, and to provide opportunities for medical services, education, and self-reliance to all the people in the world.

  
We will engrave in our hearts the past, when Japan ended up becoming a challenger to the international order. Upon this reflection, Japan will firmly uphold basic values such as freedom, democracy, and human rights as unyielding values and, by working hand in hand with countries that share such values, hoist the flag of “Proactive Contribution to Peace,” and contribute to the peace and prosperity of the world more than ever before.

  
Heading toward the 80th, the 90th and the centennial anniversary of the end of the war, we are determined to create such a Japan together with the Japanese people.

  


  


  
August 14, 2015

  
Shinzo Abe, Prime Minister of Japan

  

 回复[7]: 问题出在人。 我 (2015-08-19 18:53:23)  
 
  问题出在人。

  
如果这篇不是安倍谈话、而是另外任何一个日本首相的谈话,都不会受到如此集中的指责。

  
甚至有可能成为日本首相谈话的范本也不一定。

  
中韩已将安倍描绘成丑角、大家需要他继续那份角色,否则会让政府和媒体尴尬。

  
问题还出在时机。

  
眼下被人们用作标杆的村山谈话,当年被韩国报纸作了如下评论:

  
·村山日本総理の謝罪談話が日本から被害を受けた国、さらに世界平和を愛する人々を説得できなかったのは遺憾である

  
·その形式的な談話ひとつで日本が反省していると見る根拠はどこにも無い

  
·談話はすでに矛盾しているという指摘が出ている。謝罪をしておいて、損害賠償た国家補償、財産権請求問題については否定的な態度を見せているからだ

  
·村山総理は戦争責任を「国策の失敗」としながら日王を保護しようとした。日本の国家元帥は日王だし、戦争を推進したのも彼だ

  
·世界的に日本の責任回避に対する批判が強まっている

  
虽然一时还找不到当年中国对村山谈话的评论,

  
但是如果把安倍谈话放到下面这篇文章中的时代去发表,

  
安倍晋三弄不好会成为中国人民喝水不忘掘井人的老朋友。

  
歴史的な「日中共同声明」調印の知られざる舞台裏

  
http://diamond.jp/articles/-/75058

 回复[8]:  夏雨 (2015-08-19 21:03:16)  
 
  赞成7楼。

  
把首相换成野田,照样被骂死。也许换成鸠山,才有可能被接受。但这是不可能的事。

  
这说明中韩都很无耻,反复无常,没有一贯性。

  
中国如此无赖,有众所周知的原因。可韩国是民主社会,为什么会变得如此任性,我实在不能理解。

  
据说9月3日安倍要去北京,虽然不是参加阅兵,但这个日子去,不能说是赴鸿门宴,可至少也是去受白眼。

  
为什么要去?置之不理的理由也说得过,主持国鸠占鹊巢,抢国民党的名分,也算是厚脸皮。

  
但是安倍不回避。

  
安倍这种勇气,这种坚忍,真乃男子汉大丈夫也。

  
我认为他对日本的贡献一定会被人民理解。

  
日本人身上有太多的东西值得中国人学习。

 回复[9]:  小木樨花 (2015-08-20 13:48:14)  
 
  安倍9月3日貌似要去。他的勇气和胸怀超出我的预想。

  
战后少有的名宰相了

  
据说朴总统也要去,但是否参加阅兵未定。如果参加的话真是很有意思的,当年被披着支援军的皮的解放军打得向美国求援才苟活下来,如今送上门去瞻仰解放军的威武,这是怎样的韩国思维啊……当年半岛人是以日本人的身份参战的吧

 回复[10]: 我们 二进宫 (2015-08-20 15:45:00)  
 
  日本人身上有太多的东西值得我们中国人学习

 回复[11]: 安倍首相、9月の訪中見送り…安保審議など考慮 深谷 (2015-08-25 07:51:29)  
 
  読売新聞 8月24日(月)7時2分配信

  
安倍首相は9月3日に北京で開かれる「抗日戦争勝利70年記念式典」に合わせた中国訪問を見送る方針を決めた。

  
複数の政府関係者が23日、明らかにした。参院で安全保障関連法案の審議が大詰めを迎えることに加え、米国などの首脳が式典に出席しないことなどを考慮したとみられる。政府は年内に行われる国際会議に合わせ、日中首脳会談を引き続き模索する方針だ。

  
中国政府は記念式典に安倍首相ら各国首脳を招待しており、ロシアのプーチン大統領や韓国の朴槿恵(パククネ)大統領らが式典に合わせた訪中を決めている。安倍首相は、3日の記念式典当日の軍事パレードには出席せず、その前後に訪中し、習近平(シージンピン)国家主席との日中首脳会談を行うことを検討していた。

 回复[12]: 最無恥是發達國家總統朴槿惠 夏雨 (2015-08-26 13:28:15)  
 
  作者: paul 「最無恥是發達國家總統朴槿惠」

  
既要接受美國軍力保護,又為了經濟利益,在國際政治中明顯向中共傾斜。安陪道歉得到美國認同,朴槿惠與中共唱和,死纏爛打不依不饒。對北韓地雷導致兩名南韓軍人重傷致殘,北韓只是表示遺憾,沒有承擔任何責任。朴槿惠竟然偷換概念,視同道歉,取消對北韓廣播,還自詡堅持原則獲得成果。這根本是雙重標準,讓世人看破手腳。朴槿惠就慰安婦問題長期對日本痛批不息,卻對中共志願軍參與韓戰造成的韓國人命財產嚴重損失,金家暴政得以延續,選擇失憶,遑論要求道歉。朴槿惠是民主富裕國家中唯一應邀參加中國抗戰紀念活動的元首,直至今天還聲稱是否出席中國閱兵尚在協調,不敢斷然拒絕,真是財迷心竅,十分失格。

 回复[13]: 辣椒最近的作品很多,看到这幅真是忍不住地笑了。 深谷 (2015-08-26 18:58:22)  
 
  特转来大家共赏

  

 回复[14]: 解放军1000个飞弹对准日本? 九哥 (2015-08-27 14:25:15)  
 
  听说今天解放军1000个飞弹对准了钓鱼岛和日本。不会是真的吧?

 回复[15]:  白猫 (2015-08-28 11:46:57)  
 
  一会儿飞弹对台湾,一会儿飞弹对日本,结果只是自己的城市爆炸了。

 回复[16]: 考虑是否拜访日本的问题? 九哥 (2015-08-28 12:08:11)  
 
  天津爆炸,有人分析是国内阶级斗争达到某个级别的表现。如果真正飞弹对准日本了,可能是阶级斗争达到了不可调和的程度,必须主要矛盾外移。

  
这些都不是老九最关系的。老九关心的是,这个时候是否适合访问日本?因为不愿意成为解放军的靶子。

  
生死关天的事情,好像镜子里的弟兄姐妹们都并不太关心。不过是不应该让这些无聊的事情影响了大家的好心情。

 回复[17]: 老九想得太多了。 深谷 (2015-08-28 12:31:43)  
 
  看看东京大轰炸,看看美军打冲绳,打瓜岛。再看看金门炮战,哪个不是打10万发以上的?

  
区区1000发导弹?就是10000发也轮不到在日华人的头上。还不说甲午时就知道火药里掺沙子,导弹这种几乎不用的战略武器的燃料里有多少水分更是没谱。

  
论风险的话,镜子上的人还远不如曼谷爆炸波及到老九来的大呢,或者马航飞机失事波及到老九?

 回复[18]: 今天吉隆坡大游行! 九哥 (2015-08-28 13:58:29)  
 
  是啊是啊,深谷讲得有道理。危险哪里都有。今天开始吉隆坡大游行三天,要贪官总统下台。据说可能导致武斗。所以我窝在房间里,买了三天的食物,不敢出门。

  
打起仗来,一定是怕死鬼!呵呵

 回复[19]: 祝贺日本第二艘大型“航母”下水!命名为【加贺】也是相当有历史的。 深谷 (2015-08-28 19:17:55)  
 
  新護衛艦「かが」:旧日本海軍の空母「加賀」 その違いは

  


  
「加賀」と「かが」。旧日本海軍の空母と同じ読み方の海上自衛隊の新しいヘリコプター搭載護衛艦「かが」が27日、進水した。現在計画に上がっている中では「空母型」護衛艦の建造はこれで一区切りとなる。海自は離島奪還や災害救援での対応を期待している。

  
旧海軍の「加賀」は戦艦として建造が始まったが、その後空母に改造され1928(昭和3)年に完成した。太平洋戦争時は「赤城」や「飛龍」「蒼龍(そうりゅう)」と並ぶ主力空母で、ハワイの真珠湾攻撃に加わったが、42年のミッドウェー海戦で沈没した。甲板を含めた全長248メートルは新護衛艦「かが」とほぼ同じだ。

  
護衛艦の船名は、海自の訓令で気象や山岳、河川、地名から取ると決まっている。海自は若手隊員の養成で「海軍の良き伝統の継承」を掲げるなど、旧海軍とのつながりを大切にしており、イージス艦「こんごう」なども旧海軍の艦船名と同じだ。

  
これまでの「空母型」護衛艦の3隻はいずれも旧国名「ひゅうが」(日向)「いせ」(伊勢)「いずも」(出雲)だった。今回の命名も旧国名を念頭に海自内で艦船名を募集し、その結果を踏まえ、中谷元(げん)防衛相が決定した。

  
「かが」は形としては「空母型」だが、専守防衛の自衛隊は攻撃型空母の保有が認められておらず、海自も一貫して「空母型」という言葉は使っていない。それでも「いずも」の命名時には、中国各紙から「準空母だ」と指摘された。

  
海自内からは「旧国名から『大和』など永久欠番的な名前を除き、さらに海上保安庁の船艇と重なることも避けると、残っている艦艇名は多くない。どうしても旧海軍と重なり、他国から何か指摘されるのを避けることはできない」との声も聞かれる。【町田徳丈】

  
元自衛艦隊司令官の香田洋二氏の話 「空母」との指摘が毎回あるが、ジェット戦闘機の整備や弾薬搭載、予備部品格納などの各種機能は設計に組み込まれておらず、戦闘機の空母として打撃機能の一環で使う艦船ではない。艦名の良い悪いではなく、淡々と受け止めるべきだ。

  
山田朗·明治大教授(軍事史)の話 旧海軍の空母の名前を引き継いだと受け止められる、やや強気な命名だ。艦名はあまり目立たないようにとの意識が以前は感じられたが、近年はそうではなくなってきた。空母的な艦船という位置付けをかなり意識した本音をのぞかせたものだ。

  
◇空母·加賀

  
1920(大正9)年に戦艦の長門、陸奥に続く戦艦として建造が始まった。22年のワシントン海軍軍縮条約で、僚艦·土佐などと同じく一度は廃棄が決まった。しかし23年の関東大震災で空母に改造予定の艦船が被災したことから、代わりに加賀が空母に改造されることになった。赤城と共に旧日本海軍で最初の本格的空母とされている

 回复[20]: 九哥还没回欧洲呀 张三 (2015-08-29 07:45:21)  
 
  还是回了又旅游亚洲了

 回复[21]:  小林大樹 (2015-08-29 11:02:10)  
 
  我們心目中九哥的歐洲和現實中如九哥在歐洲根本是兩回事(哭)99%回不了且沒有必要。

 回复[22]: 欧洲是老家,其他是旅游 九哥 (2015-08-31 11:59:04)  
 
  打算在西班牙先住下,之后去法国再去意大利,因为想学他们的语言。但在西班牙只住了两个月,有人邀请又到了马国,随后可能去美国。

  
九哥是欧洲住民,欧洲是老家,其他都是旅游。九哥出游没有计划,变化之快,恐怕大家追都追不上,事实上,马上要离开马国。下一个哪个国家?谁知道?

 回复[23]:  小林大樹 (2015-08-31 12:03:28)  
 
  算了吧、別吹了!我們都是過來人、成年後到了異地、其實那裡都沒絕對的帰属感。

 回复[24]:  二进宫 (2015-08-31 15:33:27)  
 
  满屏红叶一处秋

  
抚今追昔泪自流

  
喜怒哀乐无所系

  
东洋梦里话神州

 回复[25]:  科长 (2015-08-31 15:43:35)  
 
  「『なぜ、習近平は激怒したのか 人気漫画家が亡命した理由』出版記念トークショー&食事会」開催のお知らせ

  
■概要

  
高口康太著、辣椒イラスト『なぜ、習近平は激怒したのか 人気漫画家が亡命した理由』(祥伝社新書) http://amzn.to/1hMDbgw を出版いたします。「ネット世論が中国を変える」と言われていたのは今は昔。習近平体制は強圧的な言論統制とネットユーザーのお株を奪うポップな世論対策で事態を一変させました。「人権派弁護士200人の逮捕、拘束」などの強硬路線と「中国共産党御用達アイドルの誕生」などの柔軟路線は表裏一体の関係にあります。

  
本書では中国のネットで活躍し、祖国を追われた亡命中国人漫画家の辣椒(本名:王立銘)氏 https://www.facebook.com/btlajiao のイラストとインタビューを掲載。転換期の渦中にいた中心人物を水先案内人として、習近平体制と中国社会の変化を読み解きます。

  
著者・高口康太はライター、翻訳家として活動するとともに、ニュースサイト「KINBRICKS NOW」 http://kinbricksnow.com/ を通じて、中国評論を続けて参りました。本書はその集大成とも言える一冊です。

  
■トークショー

  
日時:9月6日(日) 1630開場/1700開始、1800終了予定

  
会場:山西亭(副都心線、都営大江戸線 東新宿駅より徒歩5分前後 http://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13178762/

  
料金:1000円(サイン入り新著を差し上げます) ※新著をお持ちになった方は無料。

  
登壇者: 高口康太、辣椒

  
定員:40人

  
※中→日通訳有

  
※当日は取材・撮影の可能性があります。

  
※満席の場合、当日参加をお断りする場合がございます。なるべく早めにご予約ください。

  
■食事会

  
トークショー終了後、山西亭で食事会を行います。「麺料理の本場」山西料理を楽しみましょう。8月29日までに申込み頂ければ会費5000円(飲み放題つき・二時間制)が4500円になりますので、ふるってご参加下さい

  
※満席の場合は予約をお断りする場合がございます。なるべく早めにご予約ください。

  
■申込方法

  
event_kinbri@yahoo.co.jp 宛に 【9月6日参加希望】 とのタイトルでメールをお送りください。

  
本文にはお名前、人数、緊急連絡先の電話番号、トークショー参加希望(YES/NO)、食事会参加希望(YES/NO)をご記入ください。

  
※締切8/29(土)。店内スペースの関係上、定員を超えた場合はお断りさせていただく場合がございます。

 回复[26]: 亚马孙有售 科长 (2015-08-31 15:46:40)  
 
  


  
なぜ、習近平は激怒したのか 人気漫画家が亡命した理由(祥伝社新書) (祥伝社新書 435) 新書 – 2015/9/2

  
高口康太 (著), 辣椒 (イラスト)

  
¥ 864

  

 回复[27]: 26楼兄弟刚好讲反了 九哥 (2015-08-31 18:02:41)  
 
  如果把九哥看成是一般人,那就是根本的错误。九哥刚好天性就是不能在一个地方呆久了,呆久了就乏味,也就是说,等环境熟悉了,房子买好了,家具什么都做齐了,院子里弄漂亮了,搬家的时候就到了。其实10年前就想离开日本,仅仅因为孩子还小,拖住了。现在好了,自由了。周游世界,本身就是我的归属。不信没有关系,已经连续旅行4年了,跟着再看几年就明白了。

 回复[28]: 东京那么大动静 九哥 (2015-08-31 21:00:51)  
 
  这里风平浪静!

 回复[29]:  夏雨 (2015-09-01 13:40:25)  
 
  

  
中国跨过了一条十分危险的线——新华社要求日本天皇道歉

  
键盘

  
坦白讲,我看到“新华社要求日本天皇道歉,日本外相抗议”的新闻标题之后,总有一种“一切都完了”的感慨。这个标题首先表明新华社已经把这事情做出来了,然后表明日本高层已经注意到并且非常反感,当然最后在可想而知的层面,以前中国方面无论怎么闹腾,日本高层绝少有这么极端的反应,甚至很多时候都没有反应,这次日本的高层有这种反应,说明他们很清楚新华社是中国的官方媒体,很清楚事情的严重性也很在意。倒是中国方面自身大概还不是很清楚事情有多严重。

  
日本人和支那人,作为东亚的近邻,大概可以算作一对世界民族文化之间最极端的对比。让人想来,常有无言以对,说什么都没有用的感觉。只是,从客观的形势来看,日本与中国本来应该是最没有必然矛盾的两个国家。日本地小多山,中国地大物博;日本科学和技术发达,擅长应用性的创新,但是缺乏人力和自然资源,中国科学和技术远不及世界水平,只会山寨,但是有丰富的人力和自然资源;日本在二战后的体系中作为战败国,政治军事多受限制,中国作为二战后体系中的主要战胜国,政治军事多有优势。日本虽属于美国的盟国体系,但是在文化上对美国并不认同,我不记得日本跟着美国对中国的民主,人权之类问题进行过非难。日本和中国走到今天这一步,可以说完全是日本人和支那人之间的民族文化的冲突造成的,并且责任主要在支那人这边。

  
日人的性格,相对支那人,有两个显著的特点。一是心气过高,自尊心极强,自我期许太高,不愿屈居人下。这造成日本人在公众事务中,不大好意思表达和争取自己的利益和主观好恶,因为这样显得自己自私狭隘,与自我期许不符。因为一旦与人争斗,难免就有输赢,一旦自己输了,必然要耿耿于怀走极端,所以从一开始就尽量避免与人冲突。这就造成日本人自闭自律自我压抑,退让,待人以礼的风貌。相比之下,支那人在公车饭店公园之类的公共场所,常有因为抢一个位置或座位,或者一句不合,乃至一个眼神而争吵不休,大打出手的,这几天还发生了火锅店顾客和店员因为火锅里是不是要加水而起了冲突的事件,顾客发微薄曝光投诉火锅店,店员用一盆沸水对之灌顶大面积烫伤。支那人的职场,甚至是恋人朋友之间,日常生活中也是相互之间敏感刻薄,斤斤计较,冷嘲热讽居多。很多支那文人对以上所做的解读,是因为“自尊心太高”之类,但是和日本人对比,在精神分析之下,支那人的举动恰恰是因为在心理出发点上自尊心太低的缘故。

  
日本人和支那人相比,第二个特点是客观意识过强,或者说神明意识过强也无不可。日本人似乎意识中总有一种倾向,就是尽量不要改变自身之外的诸事物,最好尽量不要对其施加影响,保持其原本的状态和发展轨迹即可。用一个比喻来说,如果开半扇门就能够通过,绝对不会把门全部拉开。很多国人认识到的日本人的习惯“不要给他人添麻烦”,其实只是这种特点的一个表现。这一点我也不想再多说了。

  
总之,和日本人打交道,就是绝对不要启动日本人压抑的攻击性,这中间有一条非常重要的界限,就是是否会让日本人觉得你伤害到了他在乎的想要守护的对象。如果他认为这只是针对自己,可以说这种状态下的日本人是非常有佛性的,几乎到了打不还手骂不还口的地步。遗憾的是,中国方面似乎没有这种觉悟。多年以来支那朝野一步一步的挑衅冒犯,最后走到现在这一步竟然要求日本天皇谢罪道歉。

  
日本天皇是日本人神明意识的极端代表,在全体日本人心中是在乎守护的对象。过去支那人对日本人的冒犯,比如前段时间支那官方不知道哪里弄来一把刀鞘上画着下流淫秽图的军刀,硬说那是安倍的祖父的,还说人家祖父是“满洲之妖”,多少还有可能让日本人为了“满足大局”“不要妨碍到其他日本人可能的计划”的崇高道德自我期许而忍让下来,现在中国官方的新华社冒犯到日本天皇,这事情还有回旋的余地么?

  
从好的角度来说,当然也可以说是可悲可恶的角度,大概中国官方依然是以支那市井争斗的心态来对待对日关系吧。就是攻击,遭到反击,就更凶狠地再攻击。先是对日本的官员要求日本道歉,在听闻有日本党派要求中国为元朝侵略日本而道歉的传闻以后,觉得遭到反击,于是产生怨恨,遂更加凶狠地要求天皇道歉。大概他们只是按照支那自己的文化还有对日本浅薄的认识,粗鄙地觉得日本天皇最大,现在要更狠地对日本人,就去咬天皇,那么自己就撒气了畅快了。

  
可能他们自己根本就没有意识到此举已经让中国跨过了一条十分危险的线,没有意识问题有多严重。二十世纪上半页,日本军人们抱着“天皇陛下万岁”的信念,舍生忘死,凶悍凌厉,对俄罗斯帝国,清帝国,后来的苏联,中华民国,东南亚的法国,大英帝国,乃至荷兰等世界列强,都是以少胜多,攻无不克战无不胜。对后来的美国,虽然战败,但是就连占领了日本全境的美国,都不得不对天皇问题充满忌惮,进退两难。现在中国官方要求日本天皇道歉,而且还这么轻率,在日本人觉得是冒犯了日本人神明意识的极端代表,冒犯了全体日本人心中是在乎守护的对象,可以说是以一种最没有悬念,最彻底,最有效的方式断绝了日本人对支那的良善自我期许的可能,也是最没有悬念,最彻底,最有效地解放了日本人压抑的强烈攻击性。用现在支那年轻人流行的话语,真的是“作大死”的节奏。

  
接下来的问题,其实已经不是中国单方面想要怎么样了,而是1.2亿日本人能不能放过支那人的问题。如果日本人要认真对付支那人,如果双方相互都进入斤斤计较,针锋相对,不择手段的Total War的层次,无论是诡计还是好勇斗狠,支那人恐怕终归不是日本人的对手。日本高层最近公开抗议联合国秘书长参加中国的大阅兵,可能就是这种全面斗争的苗头。真是无法想象,今日中国和世界先进水平的差距,恐怕远大于晚清和世界先进水平的差距,晚清对日本都败得那么彻底;二战中的中国,尚有美英作为靠山,仍然被日本打得找不着北,21世纪之中华人民共和国,科学和技术水平相对之下更加落后,国际上如同弃儿,美国也不再那么照顾,再与日本公开冲突,是否会被直接整回辛亥远点,军头谋反割据,军阀混战,一片血海的地步?

  
如果是这样,对支那人来说,实在是太可悲太不幸了。不过对全人类的历史和公道来说,又何尝不是一件恰当的好事。

  
作者:键盘

  


  

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